現在地:臺中縣沙鹿鎭公館(2010年10月30日撮影)
牛罵頭公學校公館分校の最初の校地として開校
民国5年(1916年)大正5年4月1日府報
第984號大正5年4月5日告示第52號
にて開校す。
民國九年(大正九年)十月一日本島自治制施行,本校的通學區域中,公館、西勢寮,二庄編入沙轆庄。大突寮、楊厝寮、吳厝,三庄編入清水街。因此,校舍移轉至大突寮。
<大楊國民小學自校史による>
この地方制度改正に伴う学区再編は公館にあった清水公學校公館分校が一方を沙鹿、一方を清水の学区とするということである。校名は肚峰公學校のままであったが、大正10年大突寮に移転し、沙鹿にあった肚峰公學校を廃止し、清水第三公學校として移転校名変更していく。移転先は今の清泉崗空港敷地内になっており、清水鎭東山地区が旧大突寮に当たるようである。しかし、移転と同時に沙鹿公學校の分校が認可されたという告示は出されていない。
公館にあった公學校は大正10年に移転しその後はどのように変更されていったのかは不明である。臺中州報は大正14年4月分は欠番になっており、目録では公學校関係の告示が有るが詳細は不明である。しかしながら沙鹿公學校公館分教場を廃止して公館公學校とする通達は民国30年(1941年)昭和16年3月31日臺中州報第2326號 昭和16年3月31日告示第122號にて出されており、沙鹿公學校公館分教場がこの地に設けられていたことは確実である。
沙鹿公學校公館分教場の廃止
民国30年(1941年)昭和16年3月31日
臺中州報第2326號 昭和16年3月31日告示第124號
公館公學校
民国30年(1941年)昭和16年3月31日
臺中州報第2326號 昭和16年3月31日告示第122號
公館國民學校
民国30年(1941年)昭和16年4月1日
臺中州報第2327號 昭和16年4月1日告示第131號
「大楊國民小學」の自校史は大正9年から書かれた「學校沿革誌」による。
清水鎭大楊國民小學参照
2010年10月30日土曜日
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