現在地:彰化縣田尾郷海豐崙(2010年8月21日撮影)
海豐崙公學校
民国7年(1918年)大正7年3月31日
府報第1536號大正7年4月13日告示第50號
海豐崙國民學校
民国30年(1941年)昭和16年4月1日臺
中州報第2327號 昭和16年4月1日告示第131號
<解説>
陸豐國民小學の<自校史>では
永靖公學校海豐崙分校
民国7年(1918年)大正7年4月1日
となっている。
陸豐國民小學の自校史では民国7年(1918年)大正7年4月1日となっており永靖郷の財團法人彰化縣頂新和德文教基金會『永靖杏壇懷舊:老照片專輯(一)』の学校史も陸豐國民小學の自校史を参照している。
しかし、臺灣總督府府報による告示は「民国7年(1918年)大正7年3月31日府報第1536號大正7年4月13日告示第50號」によって独立の公學校としての認可告示であった。分校告示ではない。
当時の告示の内容は、分離教室の告示はないが分校設置認可、分校から独立公學校への昇格認可、独立公學校認可、名称変更認可、位置変更認可、廃止認可となっている。
ただし、分離教室の設置であれば、独立公學校創立以前に設置された可能性がある。また、公學校の認可申請から認可までには数ヶ月を要するので、認可申請と同時に認可が間に合わない場合を想定して分離教室の準備をしていたことも考えられる。
いずれにせよ、公報上は「民国7年(1918年)大正7年3月31日府報第1536號大正7年4月13日告示第50號」によって、海豐崙公學校は独立の公學校としての認可である。
2010年8月25日水曜日
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